VOICE TRAINERS

トレーナー紹介

代表:岩谷 翔 画像

岩谷 翔
Sho Iwatani

サクセスボイス代表

声を失った絶望から再起した唯一の経歴を持つ科学的発声研究者

50名以上の歌唱指導を受けてきたにもかかわらず、声帯を壊し、『二度と歌えない』と言われた状態から科学的アプローチに出会い、奇跡的な回復を見せる。

その自身の経験から既存の発声理論を様々な専門家の力を借りながら科学的な観点で再検証。サクセスボイスメソッドを体系化する。

その指導技術はシンガーのみならず、声優、俳優、アナウンサーやセミナートレーナー。医師に至るまで声を扱う様々な業界から高い評価を得ている。

「10分間でミックスボイスを習得させる」「3分で50名の発声改善を同時に行う」など

常識的ではない速度で思い通りの声まで導く指導技術は『魔法』と呼ばれている。

トレーナー:嶋 恵子 画像

嶋 恵子
Keiko Shima

チーフトレーナー

30歳の普通OLから2年でプロシンガーとして這い上がった女性シンガー

10年勤めたIT業界を辞め、大手ボイトレ教室で歌を習いながら活動を始めるが、なかなか芽が出ず。

当時の先生から「なんでできないのかなぁ」と匙を投げられ、挫折しかけたところでサクセスボイスと出会う。

その後、メソッドを代表も驚くほど実践し、メキメキと実力を伸ばし、開始から1年半後には歌のレコーディング案件を得る。

実は当時開発途中だったサクセスボイスメソッド実践者第1号でもあり、メソッドの効果の実感は誰よりも深い。

「いつからでも、どんな状態からでも、夢は叶う」この言葉を地で進んでいる。

ボイストレーナーとしてデビュー後は、生徒の練習メニューを最適化、歌のレベルアップに貢献している。

現在は主に現場のボイストレーナーを指導する傍ら、ジャズシンガー酒井さえりに師事し、プロジャズシンガーを目指して修行中。

歌手・トレーナー・経営者・母親と、マルチにこなす新しい女性像として生徒のみならずトレーナーにも絶大な評価を得る。

トレーナー:植垣 麻衣子 画像

植垣 麻衣子
Maiko Uegaki

トレーナー

昭和スポ根マンガ的ド根性ソウルシンガー

私は10代の頃から海外や異文化に興味があり
社会経験の始まりは空港での勤務でした。

空港での勤務を通して 社会人として経験を積む中で

自分の本当にやりたいことと 向き合う時間が増えていきました。

そうして見つけたのが「音楽」。
特に歌に挑戦したいと気付きました。

しかし、 どうやったら音楽を仕事にできるのか 分かりませんでした。

ですので、まずオーディションを受けてみました。

すると、そのオーディションに合格! 「まさか!自分が!」という思いでいっぱいでした。

「ここから私のシンガー人生が始まる!」 夢が膨らみます。

と、思いきや、実はそのオーディションは 専門学校の入学試験だったことが発覚しました。

(勧誘かーいッ!)

しかし、これも何かのキッカケだと思い そのままその専門学校に入学することに決めました。

同時に故郷の大阪を離れ、上京しました。

ちなみに当時の裏話ですが、 安定した職業につけた女の私が仕事を辞め、 音楽で上京することなど 実家は当然許してくれるわけもありませんでした。

ですので、私は慎重かつ極秘に事を進め、 新生活の整えを全て終わった後、 事後報告でなんとか最初のピンチを乗り切りました。

ここからが私のど根性と呼ばれる 音楽人生のはじまりです。 そこから上京後の2年間は、 新聞奨学生としての毎日でもありました。

学校に通いながら、学費のため
新聞の配達・営業・集金をこなす日々。

その配達中に、見る景色、感じることをまとめ、 作詞・作曲を行いシンガーソングライターとして
第一歩を踏み出しました。

しかし、がむしゃらに夢だけで突っ走った私。 順風満帆なわけありません。

特に大好きな歌のスキルが酷い。

自分の曲もうまく歌えない日々を過ごしました。

学校で毎月行われる「審査会」では 学年全体でランキング下位2位という 屈辱的な成績をたたき出していました。

仲の良かった学校の友人たちはみんな、 ランキング上位・特待生。

友人たちの歌声が本当にうらやましく、 そして自分の歌声は「なんてひどいのだろう」と 自信をなくしてばかりの日々でした。

歌声に自信がなく、 自分にも自信がなくなって、 自分のこと嫌いになりそうでした。

でも、歌うことは大好きでした。

専門学校でトレーナーの方が講義中に言った ある言葉が私の心の支えでした。


「歌声・楽器・お客さんの声。
ステージ上から感じる
楽しさのすべてが混ざった瞬間。

それがすごく気持ち良くて、
ステージから見える景色は最高なのだ」

私は、その景色が見てみたいと思い、
そのために毎日何時間も歌い続けました。

声がかすれ、喉に激痛が走る日もありました。
壊れるんじゃないかと不安になる日もありました。

けれど練習を止めませんでした。

そうすれば「必ずうまくなる」
そう思っていました。

しかし、望んだ結果が出ることはありませんでした。

そのうち自動的に卒業が来て、
時間だけが過ぎて行きました。

卒業後、6年が経ち、
ようやく歌の仕事を頂けるようにはなりました。

しかし、歌だけで生活はできず、
バイトに追われる日々でした。

そんな中での自分の音楽活動も迷走し、
「どうしたらいいのだろう?」という言葉が
常に頭の中を巡っていました。

そんな時に友人のギタリストに
サクセスボイスを紹介されました。

正直、最初はトレーナーの仕事には
乗り気ではありませんでした。

自分の活動もままならない状況で
教える立場につく資格が自分にあるとは
到底思えませんでした。

ですが、『ボイストレーニングは科学』という
岩谷代表の言葉に興味を持ち、
代表の経験談とメソッドに惹かれていきました。

何よりその場で指導を受けさせてもらい、
すぐにキーや声質が変わりました。

「ここでトレーニングすれば絶対何かが変わる」

そう確信し、
トレーナーになることを決意しました。

そして、あの地獄のトレーナー研修を
受けることになりました。


毎日毎日、プロとしての基準を
徹底的に叩き込まれました。

体力的にも精神的にも
自分が結果を出せなかった原因と
向き合い続けなければいけません。

勿論バイトを続けながらなので
ついていくのでも必死でした。

一番つらかったのは、一緒に受講していた仲間が
途中でついてこれず脱落したこと。

しかし、それは専門時代から
幾度となく見てきた風景でもありました。

だから必死に堪えました。

そうして、2ヶ月半かけて
トレーナー研修を修了。

トレーナーデビューを果たしました。

トレーナーになって気付いたのは、
自分の今までの視点が小さかったのだということ。

人に教えて結果を出してもらうという
トレーナーという仕事の楽しさを知りました。

トレーナーの仕事が楽しくなればなるほど、
不思議なほど一気に歌の仕事も増え、
歌だけでの生活ができるようになりました。

さらに自身の音楽活動において
新しい挑戦もありました。

岩谷代表の
「アーティスト活動ちゃんとやりなさい!」
という後押し(無茶振り)があり、

2017年にソロ初のワンマンライブに
挑戦することになりました。

私はそれまで最高でも80名までしか
動員したことがありませんでした。

しかも、それはバンドメンバー4名での動員。
私だけの力ではありませんでした。

しかし、ソロワンマンライブでは
200名近くのお客さんを動員できました。

これもしっかりとした結果の出し方を
トレーナーという立場から学んだからだと思います。


これからの活動としては
6月より作曲家とのコラボ楽曲を配信。

更なる挑戦として10月にレコ発ワンマン。

またありがたいことに
映画の楽曲提供など盛り沢山になってきました。

最初の自分からは
到底信じられないことばかりです。

私に才能があったのではないことは
専門学校のときの成績から分かると思います。

こんな私だからこそレッスンをお伝えしたいのは、

「誰でもどんな状態からでも夢は叶う」

ということです。

おそらく私はトレーナーとして、シンガーとして、
みなさんにお伝えできるところがたくさんあります。

出来なかった自分だからこそ
出来ない人の気持ちに寄り添うと
決めているからです。

最近、声の専門家として思うことがあります。
声は、自分を映し出す鏡です。

声に自信があれば、
今より自分をもっと好きになれます。

自信がなく、自分が嫌でしょうがなかった私でも
自分を好きになることが出来ました。

もちろん、まだ満足はしていません。
自分に伸びしろを感じています。

達成の後に成長し続けられることも、
サクセスボイスメソッドの
素晴らしいところだと思います。

専門学生時代も含め、
数年さまよってきた私が
ようやく行きたい方向へ進み始めました。

そして、これを読んでくれているあなたとも
一緒に歩みたいと願っています。

私の経験とサクセスボイスの全知識が
あなたのお役に立てれば何よりも嬉しいです。

自分の声をもっと好きになっていける。
そんな指導をお約束いたします。

トレーナー:岩熊 匠 画像

岩熊 匠
Takumi Iwakuma

トレーナー

笑顔の裏に血の滲ませた不撓不屈のシンガーソングライター

こんにちは!サクセスボイストレーナーの岩熊です。 僕の好きな言葉は、
「やめんかったらええんちゃう」。


僕が過去に共演させて頂いた
シアターブルックの佐藤タイジさんに
言って頂いた言葉です。

今まで何度も諦めそうになりましたが、
何度もその言葉に助けられてきました。


好きなことをやりたかったらやり続ける。

シンプルですが、
そう簡単にはいかないこともあります。

しかし、諦めなければやり遂げることが出来ます。

そういった経験を皆さんにお伝えしたいと思い、
ボイストレーナーという職業に就いています。

僕の歌に関する記憶は幼い頃にさかのぼります。

僕は幼少期。
本当に歌が好きで、ずっと歌ってる子でした。

しかし、小学6年生からの変声期を経て
思うように声が出なくなりました。

それからは歌うのが辛くなり、
5年以上も歌を歌わなくなってしまいました。

時は経ち、大学生になった頃。

バンドがしたいと思って
音楽サークルを見学しました。

ある先輩がギターを弾いている姿を見て
「自分もやりたい」と思い、
そこから、僕の音楽人生が始まりました。

実はその先輩は
今でも交流があったりします。

僕は最初、何も出来ない初心者でした。

歌は勿論、楽器も何も出来ません。

そこから下手なりにがむしゃらに練習して、
なんとかサークル以外で
ライブハウスにも出られるようになりました。

そして、地元のライブハウスに出た時。
衝撃的な事を対バン相手から言われてしまいました。

「あいつ高音出てへんよな。
 ヴォーカル代えた方がいいんちゃう?」

言っていいことと悪いことがあります。

本当に悔しくて悔しくて、
「絶対あいつより上手くなってやる!」
そう誓って、またがむしゃらに練習しました。

その甲斐あってか、
徐々にバンド活動は盛んになりだしました。

県外にライブしにいったり、

プロのツアーサポートをしたり、

地元の音楽フェスにも出演し、

学園祭ゲストに呼ばれたりと色々経験しました。

自分たちでもイベントを執り行い、
多くのファンの人達にも楽しんでもらえました。

初心者の頃に憧れたバンド活動が
出来るまでになりました。

しかし、そういう経験はしたものの
生活が一変するような変化はなく、
徐々に焦りが生まれだしました。

「俺はこのまま音楽を続けて
 どこまでいけるんだろうか?」

そう思い、地元を離れ、
バンドで上京しました。

そこからはまたがむしゃらです。
精力的にライブ活動を続けました。

都内の有名ライブハウスやイベントにも出演し、
沢山の人にバンドの音を聞いてもらいました。

おかげで東京にもファンと呼べるような人たちも
支えてくれるようになっていきました。

しかし、今思えば基礎能力が足らず、
望む歌は歌えませんでした。

歌のクオリティが低いので
望む結果も出せません。

多くの結果を出せないミュージシャンが
そうであるように
僕もまた音楽への情熱を失っていきました。

「このままじゃヤバイ!」
そう悩み続ける毎日です。

歌は過去のコンプレックスは残ったまま。

高音が出せなくて、
呪いのようにあの言葉がつきまといます。

「あいつ高音出てへんよな。
 代えた方がいいんちゃう?」


『自分はやはり辞めたほうがいいのでは…』

半ば音楽の道を諦めてかけていたそんな時。


僕が音楽を始めるキッカケだったサークルの先輩が
ボイストレーニング教室を始めたことを知りました。

そう。
実はその先輩こそが
現サクセスボイス代表の岩谷翔でした。


ちなみに僕は当初、
ボイストレーニング否定派でした。


・結局、プロになれなかった人がやってるんじゃ?

・やっても全然上手くなれないだろう

・詐欺みたいなもんだ


そう思っていましたし、
周りのバンドマンも
ほとんどそのように感じていたと思います。

実際、ボイトレ経験者から話を聞いても
あまり良い噂は聞きませんでした。


しかし、昔から岩谷の実力は知っています。
ギタリストとしては何度も賞を取っていました。

しかし、歌は初心者の僕から見ても
イマイチだったのを覚えています。


ただある日、急に実力が上がり、
そのままシーンを駆け上がっていった事も
覚えています。


「これは何かあるのではないか?」


そう思い、まずは話を聞いてみることにしました。

そこで聞いたのが科学的ヴォイストレーニング。

やみくもに練習するのではなく、
筋力へのアプローチで声を自由にしていける。

現在、サクセスボイスメソッドと
呼ばれるものでした。


実際に目の前で成長する経緯を見てきた人間が
その方法を体系化し、教えてくれる。

友人なのを差し置いても、
これほど魅力的なものはありませんでした。

僕はあまり乗り気ではない岩谷に頼み、
サクセスボイスを学び始めることにしました。


岩谷の指導はまさに"プロの仕事"でした。

始めて数週間で
明らかに以前より周りからの
評価が上がっていることを感じられました。


僕は歌いやすくなるにつれて、

「もっとうまくなって早く歌で仕事をしたい」
「自分も同じ悩みを抱える人を助けたい」

そう考えるようになっていました。


その夢を叶えるために、
サクセスボイスのトレーナー研修を
受けることに決めました。


「絶対になれる!」
そう信じ、意気揚々と挑戦しました。

しかし、当時の僕には厳しい研修となり、
「もうダメだ、耐えられない」という気持ちが
何度も湧いてきました。

そして、気持ちが折れてしまい、
一度目の研修を僕はリタイアで終えました。

今なら折れなければまだいけたのに、と思いますが
当時の自分には耐えれませんでした。


その半年後、万全の準備をして
再度臨んだ2度目のトレーナー研修。

そこでも自分自身の弱さが出てしまい
課題を乗り越えることができませんでした。


そこからは、

「自分はトレーナー以前に
 歌自体向いてないんじゃないか?」

バイトをしながら
そんな考えと戦う毎日でした。

音楽ではない他に新しいことを勉強したり、
違う世界はないかと探したりもしました。

しかし、いつも心の中に悔しさがありました。

「歌」「目標」「夢」というものが
苦しくて仕方ありませんでした。


でも、歌うと幸せでした。
絶対にあきらめたくありませんでした。


そうやって自分の弱さと向き合い、
代表に「まだあきらめられないからやりたい」
という意志を伝えました。

それから話を重ねて、
3回目のトレーナー研修に挑戦しました。


その間に徐々に歌の仕事ももらえるようになり、
今まで望んでいたプロシンガーの世界に
踏み入れる事になりました。


そして、最終試験に合格し
トレーナーとして
デビューすることができました。

悩んで、遠回りして、失敗して、
挫折して、心が折れて。

東京に来てから早5年が経っていました。


そんな僕だから
あなたに伝えられることがあると思っています。


あなたの声は変わります。

僕がそうだったように、
続ければたどり着ける場所があります。


僕にはこれから先挑戦したい夢が
まだまだ沢山あります。

その夢の中の一つに
今これを読んで、同じように悩んでいる
あなたの力になりたいというモノがあります。

出来なくて出来なくて苦しんだ自分だから
あなたができるようになるための
最高の指導をお約束できます。

やりたいことをやれるようにしていきましょう!

トレーナー:冴理 画像

冴理
Saeri

トレーナー

ヘヴィメタル出身の生き様系ジャズシンガー

その歌声は唯一無似。「ジャズ批評No.112号"岩浪洋三のジャズ日記"」において「ユニークな新人」として紹介される。

地元仙台からプロ活動を始め、30年以上のキャリアを持ち、GQ JAPAN誌「ジャズミュージシャン50人」にも選出。

現在も精力的に全国でライブ活動を行っている。

また作曲・作詞・訳詞・役者など活動は多方面に渡り、

作曲家・作詞家としては著作権協会認証を受けている。

音楽芝居『オトノワ+コトノハ・プロジェクト』では脚本も担当。

泣いて笑って、聴く人の心に愛を届ける。母でもママでもない、その歌声・存在はまさに、MOTHER。

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